先日訪ねた沖縄市久保田にある遍照寺近くのバス停・山里で下車して歩き始めた。これまでに歩いた道筋を地図に記しているが、途切れなく続くようにしたいと云う拘りがある。今日の目的地は安慶名城で、道のりは凡そ10㎞ほどもあるだろう。途中寄道しても3時間で行き着く行程である。バスに乗ってしまえば僅かな時間だが、それでは道の端の風物を楽しむことが出来ない。てくてくと歩くことが今や私にとって心休まる修行になっている。ただ、齢を重ね、言葉通りにてくてくと快調に歩く訳にはいかなくなってきた。時には歩調が乱れて、とぼとぼと歩いている己に気付いて、はっとすることがある。
歩き始めて一時間ほどが過ぎ、江洲の集落に入った。江洲城跡に按司墓があると云うので寄り道することにした。仲原小学校の裏手にある緑の丘が目印である。ところが、住宅街の中を行きつ、戻りつするのだが、按司墓に通じる道が分からない。森の中に向かって、それらしい道筋が延びていたが、入口に通行止めの綱が張られている。それに、その先は雑草が生い茂っていて、涼しい季節になったとは云え、ハブの出現が怖いので諦めることにした。
調査によると、江洲城跡には石積みの痕跡はないそうで、土塁をもって築かれた城であったようだ。この後に訪ねる安慶名城と同様に、今帰仁城を追われた北山系の子孫、伊波按司の分家によって築かれた城だろうと伝承されている。
県道75号線の安慶名交差点を左折して200mも歩いたら、右手に小高い森が見えてきた。城跡全体が中央公園として整備されている。城跡に通じる石段は急で、ごつごつした琉球石灰岩を重ねて造られているので、年寄りには歩きにくい。慎重に足を運ばなければならぬ。急坂な石段は二の丸跡に至る城門まで続いている。石門は自然に出来た岩盤の裂け目を利用して造られており、右直下の岩陰に按司墓があった。
安慶名城は14世紀ごろ、安慶名大川按司によって築かれたものだと伝わっている。またの名を大川城とも云うそうだ。この按司墓には、後の時代、第二尚氏尚真王(在位:1477年~1527)の中央集権に逆らって滅ぼされたと伝わる大川按司が葬られているのではなかろうか。
幅が1mほども無い狭い石門を潜ると、二の丸跡である。さほど広くはない。琉球石灰岩の塊が突出しているので、足元には要注意である。
大きな琉球石灰岩を背にして拝所があった。「天帯子御世(てんたいしうゆう)・安慶名宇志仁大主(あげなうしじんうふぬし)・中が世丑のみふし」と彫られた石碑が建っている。安慶名城に所縁のある人物なのだろうが、どのような関わりがあるのか分からない。
二の丸跡には、他に古い二基の拝所があった。所縁は分からないが、文献には伊波城と今帰仁城への遙拝所があると書かれている。二基の拝所が、それに当たるのかどうか、説明されたものは何もないので分からなが、安慶名城を築いた大川按司は、今帰仁城から逃れた北山系の伊波按司の分家筋である伝わっているので、それと見て良いだろう。
左に続く道を進んでいくと本丸跡に出る。二の丸との境界には、巨大な琉球石灰岩を覆うようにして樹木が茂っている。緑の奥に拝所らしい雰囲気の空間があったので入って行ったら、三基の香炉が安置されていた。祠があるわけではない。ご神体は背後にある巨大な琉球石灰岩の塊であろう。古色蒼然とした雰囲気が漂っている。城の守護神である「グスク嶽」のようだ。文献には、神名を「クニツカサノ御イべ」と書かれていた。
左手、少し高くなったところにも拝所がある。「天帯子のむすび・具志久美登繁座那志(ぐしくみとうはんざなし)・中が世うみない母親」と彫られた石碑が建っていた。はてさて、この主も安慶名城と、どの様な関わりがあるのか分からない。その名からして女性のようである。二の丸で見た石碑の人物、安慶名宇志仁大主の妃か、あるいは母親なのかもしれない。
城門を出て、もと来た急な石段を下って行った。途中から左に逸れる道があり、その先の岩陰に拝所があって石碑が建っていた。これまでに見て来たのと同じ型式の石碑である。「天正子の結び・大兼久眞澄繁座那志(うふがねますみはんざなし)・中か世うみない母親」と彫られていた。拝所の主は女性のようだが、先に拝んだ二つの石碑に刻まれていた人物との関りが分からない。
さらに先に進んで行ったら城壁の上に出た。琉球石灰岩を積み上げた石塁である。勾配が急で、足の覚束ない老人にはすこぶる危険だが、好奇心は抑えられない。這うようにして上って行ったら、石塁の頂上に石獅子のような突起物が現れた。戦国の世に物見の役割を担った守護神なのかもしれない。
安慶名城は、琉球石灰岩が屹立する岩山に築かれている。自然の地形を巧みに取り入れた要塞で、中腹から上は野面積みによる城壁で取り囲まれている。その堅牢な城壁の下に、安慶名闘牛場があった。この取り合わせがしっくりこなくて、ちょっとの間、思考回路を混乱させた。
うるま市には古くから大衆娯楽として親しまれてきた闘牛がある。牛と牛とが戦う迫力満点のイベントだそうだ。てくてくと歩きながら、うるま市に入ると、マンホールの蓋に書かれた図柄が闘牛に変わる。ユーモラスな図柄だが、のんびりと歩かなければ出会うことがないだろう。マンホールの蓋は、その市や町、村の特徴をアピールしている。
(2017.11.10)
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